2013年10月23日
凱旋門賞「重い扉」が開く日
半世紀に及ぶ挑戦はまだまだ続く
1969年、筆者はまだ小学生だったが、競馬好きの父の影響で競馬に興味を持ち、毎週のように競馬場へ連れて行ってもらっていた。当時の少年のヒーローはスピードシンボリだった。年間を通して主要重賞にはほぼ出走し、距離、芝・ダート、馬場状態、負担重量を問わずに好走を続ける姿は、派手さはなくても勤勉で努力家の日本人の心を打つものだった。
そのスピードシンボリが世界最高峰の凱旋門賞に挑戦したのがこの年だった。フランス競馬、ロンシャン競馬場についてのくわしい知識はなかったが、坂があり、草丈の長いタフな馬場は、スピードシンボリにピッタリに思えた。遠くフランスまで遠征して世界一のレースを勝つのは難しくても、前哨戦のキングジョージVI&クイーンエリザベスSで惜しい5着に入着していたスピードシンボリなら、彼らしい善戦は見せてくれると信じていた。
だが、かじりついて聞いていた記憶があるラジオからの実況(中継だったのか録音かは定かでない)は、はるか離れた後方のままレースを終えたスピードシンボリの姿を寂しそうに伝えるものだった。
それから44年間が経過した。その間、日本馬が挑戦するたびに、心を躍らせた。スタミナがケタ外れのメジロムサシなら、長期遠征で環境に慣れたシリウスシンボリなら、充実期を迎えていたサクラローレルなら、と優勝シーンを思い描いたが、メジロムサシ、シリウスシンボリは惨敗。サクラローレルは直前に故障し出走できなかった。
1998年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタの2着で夢はようやく現実に近づいてきたが、負けるシーンなど想像もできなかったディープインパクトですら頂点に立つことができなかった。
何度目かの「今年こそ」の気持ちでテレビ観戦した今年の凱旋門賞だったが、悲願はまたもや叶わなかった。オルフェーヴルは2着、キズナは4着。両馬とも目立ったロスのない競馬をしたが、フランスの3歳牝馬トレヴに5馬身差をつけられてしまった。
オルフェーヴルの池江師が「力は出し切った。勝った馬が強かった。完敗です。スミヨンは完璧に乗ってくれた。勝った馬の強さを讃えるしかない」とテレビのインタビューで語っていたとおり、これで5戦不敗となったトレヴがまさに歴史的な名牝なのは間違いない。それだけ世界は広く、世界では毎年のようにとてつもなく強い馬が誕生しているということだ。
92回を数える凱旋門賞の歴史のなかで、2勝したことがあるのは史上6頭だけ。もっとも最近は1977、1978年のアレッジドだから、35年間も現れていない。それは2年間、世界の頂点に立ち続けることの難しさを物語っている。昨年のオルフェーヴルは2着だったとはいえ、もっとも強いレースをしたのはオルフェーヴルだったことは誰もが認めていた。今年は実質的にはV2を狙うレースであり、その難しさが改めて浮き彫りにされたといえるのかもしれない。
だが悲観することはまったくない。凱旋門賞2年連続2着という成績は、歴史に残る偉大なものだ。1度だけの好走なら、レース展開のアヤなどで起こり得ることだが、2年続けてとなれば確固たる実力の証明だ。キズナにしてもニエル賞、そして本番と、日本ダービー馬としての実力を存分に見せつけた。
あのスピードシンボリの初チャレンジから44年。日本馬の実力が確実に高まっていること、ほぼ世界の頂点にまで達していることを証明して見せた。
ディープインパクト、オルフェーヴルのような名馬は10年に1頭、いやそれ以上の期間、登場しないかもしれないが、必ずしも当時の抜けた実力No.1ではなかったナカヤマフェスタがワークフォースの小差2着になったように、日本のトップホースが絶ゆまなく挑戦を続けていけば、必ずいつかは池江師の言う「重い扉」がこじ開けられる日がやってくる。
「今年こそ」と思っていた気持ちの昂ぶりから、リアルタイムで目にした敗戦による失望感は確かにあるが、冷静に結果を分析してみれば、日本のホースマンのやってきた強い馬づくりは決して間違いではなかったという自信を、十分に得ることができた2013年凱旋門賞だったのではないだろうか。