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馬産地往来

2004年12月1日

コスモバルク効果の価値

「外厩馬」がもたらした数々の改革

後藤正俊

 このところコスモバルクの話題ばかりになってしまっているが、 北海道にとって、 馬産地にとって、 そして日本の競馬サークル全体にとって、 2004年のコスモバルクの大活躍は非常に価値の大きなものだった。
 コスモバルクは、 11月28日に行われたジャパンCでも2着と大健闘。 ジャパンCで地方馬が2着となったのは1985年のロッキータイガー以来19年ぶり2度目の快挙だった。 ロッキータイガーの快走も当時の地方競馬ファンの溜飲を大いに下げさせてくれたが、 コスモバルクの場合は2番人気に応えての堂々の2着。 しかも3歳馬であり、 菊花賞馬デルタブルースをはじめとするJRAの有力3歳馬たちを抑えての成績だから、 なおさら快挙だったといえる。
 だがコスモバルクの価値は、 単に強いということだけに止まらず、 コスモバルク自身を取り巻く環境を、 自らの力で変化させていることにある。 11月18日に行われたJRA運営審議会では、 外国馬と外国産馬に対しての規制緩和などを中心に決定されたが、 同時に地方馬に対しての規制緩和も決まった。 主な改正点は次の3点である。
 1地方馬が春季競馬の芝の3歳重賞で1着になれば春季の3歳GIに出走できる
 2地方馬がNHKマイルCで2着以内になればオークス、 ダービーに出走できる
 3地方馬が春季競馬の3歳GIで2着以内になれば秋華賞、 菊花賞に出走できる
 1と3は今年のコスモバルクのケースを想定した改正である。 コスモバルク人気の高さをJRAも無視できなかったわけだし、 ファンからの非難もかなり激しかったのだろう。 まだこれだけでは地方馬に対しての不公平感は取り払われたとは思えないが、 コスモバルクの活躍があったからこそ、 JRAも重い腰を上げざるを得なかったのだ。
 さらに大きな改革をもたらすことになったのは、 有馬記念出走に関してだ。 これまでJRAでは、 JRA競走に地方馬が出走する際には自厩舎からの入厩以外は認めていなかった。 そのためコスモバルクはレースごとに北海道からの長距離輸送を強いられ、 今年だけでも北海道と本州の間を11回も馬運車で揺られた。 普通の馬だったらこの輸送だけでもバテバテになっていたはずだ。 もちろん■超馬■コスモバルクにしても、 かなりの影響はあったことだろう。
 この点に関してもファンから 「出走馬が万全な態勢でレースに出走できないような制度はおかしい」 という声が上がっていたが、 JRAは運営審議会ではこの点を問題にしなかった。
 だが有馬記念出走に際して、 「冬季間で北海道地区では満足な調教が行えないことを考慮して、 特例として他主催者競馬場からの入厩を認める」 としたため、 コスモバルクは有馬記念後、 大井競馬場に移動。 そこから美浦トレセンに入厩することになり、 北海道に帰らずに有馬記念を迎えることになった。 この方式は99年の阪神3歳牝馬Sに出走した道営のエンゼルカロ以来2度目の特例だが、 ジャパンC前からこの特例を認めていたのは、 JRAサイドがファンの声を配慮したものだった。
 またコスモバルク・サイドからのこの申し出に、 大井競馬場も快く協力した。 これまでの地方競馬のもっとも大きな欠点は、 各主催者同士の協力関係がほとんどなかったことだった。
 地方競馬の廃止が続いている状況だけに、 「自分のところだけは何とか生き残ろう」 と考えるのは当然のことかもしれないが、 地方競馬全体を盛り上げていかない限りは、 各主催者も復興への道が閉ざされてしまう。
 コスモバルクを受け入れることは、 マスコミ対応など面倒な面も増えるが、 それでも 「地方競馬全体のことを考えて」 の決断だったはず。 コスモバルクは地方競馬同士の壁も崩したのだ。
 史上初の 「外厩馬」 が、 誰も予想だにしていなかった大活躍をしてしまったことは、 もちろん偶然の部分が大きいのかもしれないが、 コスモバルクによって 「外厩制度」 が日本でもなじみが出たというだけでも大きな効果だった。
 社台ファームの外厩馬カントリーウーマンも岩手・白菊賞で重賞を制覇してコスモバルクに続いた。 次に起こるコスモバルク効果は、 JRAでも外厩制度が認められる方向になることかもしれない。

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