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馬産地往来

2008年2月1日

生産者とマスコミの関係

ディープの初産駒フィーバーの陰で

後藤正俊

 今年は年明け早々から馬産地が騒然としていた。 注目のディープインパクトの初年度産駒が誕生するからだ。 もっとも、 生産者にしてみれば、 どんな子が生まれてくるのかはもちろん興味のあることだが、 無事に種付けが終わって順調に受胎確認もされていたのだから出産予定日になれば生まれてくるのは当然のことで、 「騒然」 とするほどではない。 「騒然」 としたのはマスコミであり、 牧場はその対応に振り回されてしまったのである。
 ディープインパクトの引退後、 際立ったスターがいない競馬界。 メイショウサムソン、 ウオッカ、 ダイワスカーレットなど名馬はいても、 レース以外でスポーツ紙の1面を飾れるほどのネームバリューのある馬はまだいない。 引退したとはいってもやはりディープインパクトの知名度は抜群で、 その初子誕生は極めて大きなニュースバリューがある。
 ただ、 サラブレッドの出産予定日が前後1~2週間程度狂うのは当たり前のことだけに、 常にマークしておかなければニュースが取れない。 どこの社も気がつかないのならまだいいが、 自分の新聞だけ“特落ち”(1社だけがニュースを掲載できなかったこと) になると、 記者や競馬部全体が処分の対象になってしまうことにもなりかねない。
 そのため1月中に出産予定がある牧場には、 元日から各社からの問い合わせの電話が殺到する事態となった。 出産予定日のもっとも早かった牧場には1日30本近くの電話が鳴り続け、 日常業務にも支障をきたすほどだった。
 牧場にとって、 生産現場のことがマスコミで取り上げられることは、 対応は確かに面倒かもしれないが、 競馬界全体を考えれば決して悪いことではない。 ディープインパクトの子供が生まれることで、 競馬から離れていたファンがまた注目するようになってくれば、 落ち続ける売り上げにもストップがかかるかもしれない。
 だからほとんどの牧場ではマスコミからの問い合わせに丁寧に対応していたが、 電話が鳴り続けてしまうのでは、 さすがに対策を練らなくてはならない。 ある牧場では 「1社だけに教えたり、 1社だけを忘れたりしてしまったら申し訳ないので、 すべての情報はJRA広報室を通して発表します」 という方針をマスコミに伝えた。 だがJRA広報室にも定休日があるし、 ほとんどの出産は深夜から早朝にかけて行われる。 当然その時間にJRAには人がいない。 かくして、 「どこかの社だけ情報を入手してしまったら困る」 と考え、 毎日電話を掛け続ける行為はなくならなかった。
 1月9日に最初の出産があった牧場は家族経営の小規模な牧場で、 これまでマスコミが訪れることはあまりなかった。 だが、 場主は非常に温厚な人柄だったので、 マスコミの要求に応じて出産当日の写真撮影にも応じたし、 出産4日後に初めて放牧に出したときも、 厳しい寒さのなか、 写真撮影のために馬服を脱がせて放牧した。
 出産当日の写真があったからこそ1面に掲載したスポーツ紙があったし、 当然ながら、 馬服を脱いで全身が見える写真も大きく掲載された。 テレビ局でもこの模様は放送された。 この間にトラブルはなかったのだが、 牧場取材を長年続けている私から見れば、 ヒヤヒヤすることばかりだった。
 出産を行うお産馬房はもっとも衛生に気をつけなければいけない場所で、 外部の人間を入れるのは極めて危険なことだ。 しかも昨年は馬インフルエンザの大流行があり、 まだ完全に収束していない状況だ。
 さらに、 大多数のマスコミは通常の靴で、 消毒も十分に行っていない。 マイナス10度近い寒さのなかで、 生まれたばかりの子馬に馬服を着せないで放牧したのもリスクの高い行為だった。 どちらも場主の厚意で実現したものだが、 場主も本音を言えばどちらもしたくなかったに違いない。 一歩間違えれば、 せっかくのおめでたいニュースが大きな問題に発展しかねなかった。
 マスコミにとってニュースは大切だが、 取材先に迷惑をかけないことは最低限のマナーである。 今後も良い関係を保つためにも、 多くの牧場が関係するこういうニュースの場合には、 マスコミは代表取材方式を取る方がベターだろうし、 牧場サイドも断るべきことはきっちりと断る姿勢が必要ではないだろうか。

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