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馬産地往来

2010年6月25日

コスモバルクが果たしたこと

道営競馬を救った認定馬房1号馬

後藤正俊

 ホッカイドウ競馬の英雄・コスモバルク(牡9歳)の引退式が、5月4日に門別競馬場で行われた。9歳を迎えた今シーズンもアイルランドへ移籍して現役生活を続行する予定だったが、骨折のため直前になって断念。ついに引退することになった。
 引退後はビッグレッドファームで功労馬としてけい養されている。骨折は残念だったが、長い長い戦いの日々から解放されて、ようやくのんびりとした安堵の日を手に入れたコスモバルクに、心から・ご苦労様・と言葉をかけたい。
 コスモバルクがファンにとっていかに大きな存在であったのかは、当日の門別競馬場の熱気に示されていた。交通の便が悪い門別競馬場の通常時の入場人員は数百人、しかも多くは日高管内からの生産関係者である。ところがこの日は門別競馬場開設以来の新記録となる2867人が詰め掛け、そのほとんどは札幌方面を中心に全国からの競馬ファンで占められた。この日は祝日ではあったが、ダートグレード競走が行われていたわけではない。馬券を発売している大レースよりもコスモバルクの引退式のほうが大きな集客力があったわけだ。
 コスモバルクが競馬界に残した功績は、たとえばJRAに3冠馬が登場するよりも大きなものがあったのではないだろうか。ホッカイドウ競馬が生き残りを賭けて03年から導入した、いわゆる外厩制度の「認定馬房制度」第1号がコスモバルクだった。第1号が大成功を収めたのはまさに奇跡としか言いようがない出来事で、そのインパクトは強烈だった。
 認定馬房制度には厩舎との関係、検疫問題、調教時計の公開など種々の問題があり、当初は導入に慎重な馬主、牧場が大半だった。だが北海道地方競馬運営委員会の委員を務めていたビッグレッドファームの岡田繁幸氏が「とにかく一歩踏み出さなければ何も動かない」と半ば見切り発車的に導入を決意。当時の個人所有の育成馬のなかでもっとも調教での動きが目立っていたコスモバルクに白羽の矢を立て、大任を任せたのだった。
 JRAでは外厩制度が認められていないため、コスモバルクはJRAレースに出走するたびに牧場~門別競馬場~出走競馬場(またはトレセン)という長距離輸送の行程を繰り返し、しかも3歳時は収得賞金が足りていてもクラシックに出走するためにはトライアルでの権利獲得を義務付けられた。そんな厳しい条件を克服してJRA挑戦で活躍を続けるコスモバルクの一生懸命な姿に、ホッカイドウ競馬ファンだけでなく、全国の競馬ファンが応援をするようになり、地方競馬全体が熱気を帯びてきた。
 一時期、地方競馬は廃止の連鎖が続いており、このままでは大井競馬場以外の地方競馬はすべてなくなってしまうのではないかとまで言われたことがある。だがその廃止連鎖の歯止めに、コスモバルクの存在が大きく影響したことは間違いない。少なくとも、コスモバルクがいなければホッカイドウ競馬はもう存在していなかっただろう。
 コスモバルクの成功を受けて、大手のオーナーブリーダーらも認定馬房制度に進出することになった。特に社台グループの参入は、ホッカイドウ競馬2歳戦を大きくレベルアップさせた。
 JRAと血統レベルが変わらない馬が多く登場してくると、華やかさが違う。活躍すればコスモバルクのようにJRAクラシックを目指せるだけに、JRAファンも道営2歳戦を見逃せなくなってくる。
 地方競馬馬主にも大きな刺激となった。コスモバルク方式なら極めて困難なJRA馬主資格を取得しなくても、JRA3冠レースに愛馬を出走させることも可能。実際にはまだそういう馬は登場していないが、地方競馬馬主にとって見果てぬものだった夢を、現実的な目標として描けるようになった。
 認定馬房導入当初、社台ファームやノーザンファームの良血馬たちが予想外の苦戦をした。これまでハイレベルな育成を行ってきた社台グループだが、レース直前の調教は経験がなかったため、戸惑うことも多かったのだ。だが試行錯誤をすることで内厩に負けないような仕上げが行えるようになり、成績もアップ。その経験が育成全体のレベルアップにもつながり、JRAでの成績もさらに飛躍する結果となった。社台グループのレベルアップは、日本競馬全体のレベルアップでもある。
 決してこじつけではなく、コスモバルクの存在が日本競馬全体に変革をもたらしたと言っても、決して過言ではないと思っている。

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