2021年4月23日
岡田繁幸さんとコスモバルク
日本競走馬協会設立、発展にも大きく貢献した岡田繁幸副会長が3月19日死去した。まだ71歳という若さ。個人的にも多々お世話になっただけに、ショックという言葉しか浮かばない。体調が芳しくないことは以前からお聞きしてはいたが、まさかこんなに早く旅立たれてしまうとは。ご冥福をお祈りする。
「相馬眼の天才」「マイネル軍団の総帥」として競馬ファンからも絶大な人気を得ていた岡田さんの功績については、とてもこのコラムで書き切れないが、個人的に最も印象深いコスモバルクに関してのみ書かせて頂きたい。地元スポーツ紙記者としてデビュー前からずっとコスモバルクに密着し、岡田さんの思いについてお聞きしていた。いまもう一度、コスモバルクが存在した意義について考えてみたい。
コスモバルクが生まれた2001年。ホッカイドウ競馬は売り上げ不振が深刻になり、廃止を真剣に考えるようになっていた。だが生産者にとっては、セリ市で売れ残ってしまった馬を自らが馬主として使いながら販売先を確保するために不可欠な存在。2歳馬だけで年間600頭以上の受け入れ先がなくなる影響も計り知れない。その中で生産界は日高軽種馬農協などが中心となって北海道競馬運営改善対策室を設立し、外部から運営改善策の提案などを行ってきた。その対策室の中心にいたのが岡田さんであり、様々な提案を自らが実践することで、計画実現へ向け惜しみない努力をしてきた。その提案の1つが「強い馬を作らなければファンは盛り上がらない」であり、それを実践したのがコスモバルクだった。
三石・加野牧場で生まれ、父ザグレブ、母イセノトウショウ(その父トウショウボーイ)という血統のコスモバルクは、2歳上の半兄マイネルプリンスを岡田さんが購買していた縁もあり、岡田さんの個人所有(当初は妻・美佐子さん名義、のちにビッグレッドファーム名義)で、ビッグレッドファームで育成された。坂路で本格的に乗り出されると、コスモバルクは同期の中で抜きん出た動きを見せていた。「馬体のつくりに無駄がなく、筋肉の質、心肺能力も申し分ない」と早くから同ファームの「一番馬」の評価だった。通常ならJRAデビューを考えるはずだったが、岡田さんはホッカイドウ競馬でのデビューを決めた。「一番良い馬をホッカイドウ競馬からデビューさせて、日本ダービーを勝つ。それが実現したらホッカイドウ競馬はもう大丈夫だ」
その夢の実現のために導入に取り組んだのが「認定厩舎(外厩)制度」だった。当時のホッカイドウ競馬は出走10日前までには門別トレセンに入厩しなければならなかったが、トレセンは大手育成牧場よりも施設面で見劣り、厩務員が1頭当たりの世話をできる時間も少なかった。「この環境ではJRA馬に勝てない」と、牧場の一部を外部から遮断し、調教タイムも公表することなどを条件に主催者と粘り強く交渉し、全国初の牧場からの当日入厩による外厩制度を認めさせた。
その第1号がコスモバルクだった。制度を利用して預託するにあたって「大半を外部で過ごす馬を管理することはできない」と当初は6人もの調教師に断られたが、田部和則調教師が理解を示した。田部師や主戦となった五十嵐冬樹騎手は足繁くビッグレッドファームに通い、コスモバルクの調教をつけた。岡田さんは仕上げやレースへの指示も事細かに行っていたので、田部師、五十嵐騎手とも多少の戸惑いはあったに違いないが、「強い馬をつくる」という共通の夢を胸にしっかりとタッグを組んだ。
コスモバルクはデビュー5戦目から、地方在籍のままJRA挑戦に踏み切った。JRAは外厩制度を認めておらず、一度門別トレセンに入厩した後に東京、中山への長距離輸送となるなど様々な苦労はあったが、初戦の百日草特別からラジオたんぱ杯2歳S、弥生賞と破竹の3連勝。そして迎えた皐月賞は単勝2.4倍の1番人気。結果としては2着に敗れたわけだが、ホッカイドウ競馬所属馬がJRAクラシックで1番人気に推されたという事実が、地方競馬活性化に何よりも価値のあることだった。皐月賞のパドックで岡田さんは「負けるとしたらあの馬だな」と10番人気ダイワメジャーを最も警戒していたのは、さすが「相馬眼の天才」だったし、レース後のインタビューでダイワメジャーを生産した社台ファームの吉田照哉代表が「生産馬が勝ったのはもちろん嬉しいが、繁ちゃんがすごいことをやっているのはよく知っていたので、その意味では複雑だよね」と語っていたことも印象深かった。
認定厩舎制度はその後、ノーザンファーム、社台ファームなどでも取り入れ、活躍馬の輩出と牧場スタッフの技術向上に結び付いている。コスモバルクはその後もジャパンC2着、シンガポール航空国際Cで優勝。地方所属馬初の海外G1制覇、芝G1制覇を成し遂げるなど生涯で48戦10勝の成績を残した。有馬記念には6年連続出走し地方競馬活性化にとてつもない功績を残した。
ホッカイドウ競馬は01年に単年度収支28億円の赤字、02年の売上額は98億円まで減少していたが、コスモバルクの登場以降は右肩上がりとなり、13年には単年度黒字に転換、昨年は史上最高の売上額520億円を達成した。各種改革の成果ではあるが、その根底を支えた大きな要因が岡田さんの飽くなき情熱だったことは間違いない。