2004年10月1日
逞しき生産者たち
災害を乗り越えて―その後
昨年8月の台風10号は、 日高西部の門別町、 新冠町を中心に馬産地に大きな被害をもたらした。 とりわけ、 門別町と新冠町の境界を流れる厚別川流域の牧場は大きな被害を受け、 壊滅的な状況となったところもいくつかあった。
あの大災害から1年が経過した。 被害を受けた地域にはダンプカーなどの土木作業車が頻繁に行き交い、 破損した橋げたや道路の修復が急ピッチで進められている。 そして、 被害を被った牧場でも、 再建に向けた作業が日々続いている。
厚別川の中流域にあるキタジョファームは、 昨秋の台風でもっとも大きな被害を受けた牧場のひとつだ。 自慢の屋根付坂路はその半分が増水した濁流に削り取られ、 土台を失った屋根が崩れて坂路に覆いかぶさり、 周回コースは泥に埋まって沼地になっていた。 昨年9月初めに見舞いに牧場を訪れた私は、 社長の北所直人さんに何と言葉をかけてよいのかわからなかった。
そんな私の動揺をよそに、 崩壊したトレーニング場をバックにして、 北所さんは 「屋根付馬場を再建したあとに、 もう一本坂路を作るつもりだよ」 と屈託なく話をしてくれた。
「僕はゼロから出発した男だから、 もう一回やり直せばいいんだ。 それだけ」
この状況下で前向きに力強く決意を述べる北所さんの心意気に私は打たれたのだが、 その一方で、 牧場の再建は途方もなく大変だろうと、 正直思わずにはいられなかった。
それから1年、 去る8月30日に静内町のウエリントンホテルで、 キタジョファームの坂路落成パーティが催された。 従来の屋根付坂路コースを2カ月余りで復旧させたあと、 北所さんは私に宣言したとおり、 台風で大量に出た残土や流木なども利用して、 延長550メートル、 最大斜度4度のバークコースを完成させたのだ。 パーティには200人余りの人々がお祝いに駆けつけ、 皆が皆、 新しい坂路コースとバークコースの完成を祝福したのだった。
ある来賓の方が、 「北所さんが被害に遭われたときは心から心配したが、 再建は難しいと思っていた。 今日はお詫びに来ました。 ごめんなさい」 とユーモアを交えてスピーチをされた。 会場は爆笑だったが、 私を含め、 出席者の誰もが来賓の方と同じ気持ちだったに違いない。 北所さん、 本当にごめんなさい。
「もう二度と台風には来て欲しくないけど、 この災害を逆にチャンスに変えて、 この日を迎えることができました」 と、 北所さんは力強く挨拶した。
厚別川のさらに上流域に、 土井和則さんの牧場がある。
台風の災害では、 河川沿いにあった放牧地を完全に失い、 山側の放牧地も、 崩れ出た大量の土砂や流木でほとんど使えない状態となった。 住宅も一部床上浸水したため、 夜中に放牧地を突っ切り、 隣の高台の牧場に避難したという。
管理馬を別の牧場に避難させたあと、 土井さんの 「牧場再建土木工事」 が始まった。 牧場脇では崩壊した道路の再建工事が行われ、 もうもうと土煙が立ち上るなか、 土井さんはトラクターを操り、 作業に明け暮れる日々が続いた。
10月初旬、 久しぶりに訪れた土井さんの牧場は、 流出した河川沿いの放牧地が残土で埋め戻されていて、 新たに金網メッシュの牧柵も巻かれていた。 土砂を取り除いた山側の放牧地には青々と牧草が茂り、 ほぼ元通りの状態に戻っていた。
「馬しか俺にはないから、 とにかく元通りに直したよ」 と土井さんは言う。 牧場の再建期間中、 4頭の自分の繁殖牝馬以外は他の牧場に避難させたり、 預託元に返したりと、 一時は緊縮した牧場経営を強いられていた。
この秋に牧柵も完成し、 牧草もほぼ生えそろって、 近所に預けていた1歳馬も戻ってきた。 つい数日前には、 日ごろお世話になっている大手牧場より3頭の牝馬を預かったという。
「今までのお付き合いで、 また預託牝馬を預からせてもらって、 本当にありがたいよ」
と、 土井さんは感謝の気持ちでいっぱいだが、 真面目にこつこつと馬の世話をし、 しっかりと責任を果たす土井さんの性格は、 私を含め関係する人がみな良く知っている。 だからこそ、 牧場の復旧が整ったときは、 すぐに救いの手が差し伸べられたのである。
秋の夕日に照らされた土井さんは、 言葉こそ多くはないものの、 その表情は安堵感とこれからの意気込みに満ちあふれ、 輝いていた。
(北海道事務所・遠藤幹)