2017年4月25日
佳境に入った種付け業務
午前8時半、種馬場の業務が始まる。牧場の馬運車が次々来場しては、繁殖牝馬を降ろし、当て馬所で発情の状態を確認し、洗い場に係留され、種付け準備が整えられる。種付け所に入場した牝馬は、鼻ネジで鼻先を固定され、後肢には靴が履かされ準備完了。入場した種牡馬がスタッフの介添えでマウントし、一切の仕事が終了する。この時期、毎日朝昼夕と繰り広げられる風景だが、生産者の皆さんにとって真剣勝負が続く。
サラブレッドは商品であり、その価値は、個体の血統や馬格、その動きがつぶさに調査、観察され決定する。まさに競り市がその価格形成の最大のステージとなるわけだが、その商品を作り上げる根幹が、種牡馬事業だ。他の家畜のように人工授精が許されず、人の介添えがあるとはいえ、自然交配で仔馬を誕生させる。大動物の交配業務でもあり、危険も付きまとう。当然のことながら、種馬場内にはある種の緊張感も漂うのだ。
牝馬は、日の長さを感じ取る「体内時計」で、種付け適期(発情期)を迎える。かつては3月上旬から種付け業務が始まったが、近年は馬房内の明かりを一定時間つけることによるライトコントロール法で、発情始期を前倒しさせ、2月初旬から業務を開始するようになった。また、多頭数交配も当たり前になり、200以上の交配数をこなす種牡馬もいる中で、早くから種付けをしないと、人気種牡馬を付けることはほぼ不可能に近い。したがって必然種付けは前倒しとなり、かつては5月上旬に種付けピーク期があったものが、今では4月下旬に移行した感じである。
種牡馬によって、種付けの際の姿勢や癖もさまざまであり、現場スタッフがその種牡馬にあったやり方で、交配業務を進めていく。体格の小柄な種牡馬には、得てして大柄な繁殖牝馬があてがわれることが多い。種牡馬によっては種付けに苦労する場合もあり、体格差を補うために畳を重ねて種牡馬の足元を高くしたりして、スムーズな種付けができるようにする。また、牝馬にマウントする際に、両後肢が奥に入り過ぎ、あおむけにひっくり返りそうな種牡馬もいる。そんな場合は、スタッフが種牡馬の腰のあたりを支えて何とかフィニッシュさせるのだ。
かつて、別の種馬場から転厩してきた種牡馬で、こんなことがあった。種付けがフィニッシュを迎えそうになると、その馬はあわてて牝馬から降りてしまい、強烈に後ずさりをする癖があった。また音に大変敏感で、種付け所内のちょっとした物音に大きく驚く。ここで現場スタッフは思い至り、種付けの際にあることを実行した。種付け所の中では、静かな環境を作るよう心がけ、スタッフ同士の声掛けも必要最小限とし、仕事をしっかり終えた後は、種牡馬をほめて励ましてやることとした。このことを繰り返しているうちにこの種牡馬についていた変な癖はすっかり影をひそめた。前の種馬場では、種付けに失敗するたびに大声で叱られ、時には叩かれていたであろうことが、スタッフにはわかったのだ。
人と馬の信頼関係が種牡馬業務でも大変重要になってくる。大動物の行う生殖行為でもあり、取り扱いを誤ると、種牡馬は凶暴にも臆病にもなる。種牡馬をしっかりコントロールしながらも、その一方で愛情を持ったしつけを施していくことが重要なのだろう。
今回の日本競走馬協会の種牡馬DVDには、懐かしの名種牡馬の映像がある。当時のスタッフを引っ張り倒さんばかりの自由気ままな名馬の映像を見ては、種牡馬の日常の飼育管理も格段の進歩を見たような気がしたのは、私だけではないだろう。