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2004年4月1日

第二のオグリは道営から

バルクとゼント

前途洋洋

 高知競馬の106連敗馬ハルウララが全国的な人気を集めている。 3月22日のレースで武豊騎手を背に走る様子は大々的に各種メディアにも取り上げられ、 地方競馬に久しぶりに明るい話題を提供した。
 この業界は優勝劣敗の原理原則で動いているだけに、 これほどまでに弱い馬がなぜ脚光を浴びるのか、 私自身はよく理解できなかったのだが、 実際にレースを見て、 また関連ニュースに触れてみて、 ハルウララが一生懸命レースを走ってあえなく負けてしまう姿が、 多くの人々に素直に感動を与えているということに今さらながら気付いた次第だ。 メディアの力とネーミングの良さも確かにあるが、 健気に走るハルウララには本当に頭が下がる。
 私の地元ホッカイドウ競馬にもスターとなるべき逸材がいる。 コスモバルクだ。 昨夏、 旭川競馬場でデビューしたコスモバルクはホッカイドウ競馬で4戦2勝の成績を挙げ、 道営・田部厩舎に在籍したまま中央のレースに果敢に挑戦した。 そして、 中央緒戦の百日草特別に続いて年末のラジオたんぱ杯2歳S (GIII) を快勝し、 3月の弥生賞 (GII) でも朝日杯2着のメイショウボーラー以下を一蹴し、 一躍皐月賞の本命候補に躍り出た。 中央では3戦全勝の負けなしである。
 ご存じのとおりこの馬は、 ホッカイドウ競馬が他の主催者に先駆けて始めた外厩制認定馬第一号でもある。 父ザグレブは愛ダービー馬の実績を持ちながら、 これまでさして優秀な産駒を送り出せず、 アイルランドに逆輸出されてしまっており、 残された産駒のなかからこの馬が登場したことにも何やら血の不思議さを感じさせる。
 このようにコスモバルクは、さまざまな意味で次なる地方競馬出身のスターになり得る素材だと思う。 この拙文が出るころには皐月賞の結果も出ていると思うが、 おそらくは勝ち負けを争う成績を収めているに違いない。
 もう1頭、 北海道ローカルで急激に名前を売り始めた馬がいる。 「ゼントヨーヨーズ」 と名付けられたアブクマポーロを父に持つ2歳牝馬だ。 現在、 地元テレビ局のバラエティ番組の主役として、 名付けから、 厩舎入厩、 調教と、 実馬の成長と歩調を合わせるように番組が進行している。
 この馬は地元門別町の高沢牧場の生産馬。 馬主も高沢さんで、 番組に登場するタレントが北海道ローカルの人気者、 泉洋さんということで、 馬産地限定かもしれないが、 この番組は結構視聴率を稼いでいるらしい。
 高沢さんはブリーダーズスタリオンの種付に立ち会っていただいている共済組合の獣医さんで、 来場する生産者は口々に 「先生の馬、 テレビで見てるぞ」 と挨拶代わりに声掛けしているほどなのだ。
 この企画、 もともとは昨年夏の台風による災害で大変な被害を受けた日高・門別町を励まし、 勇気づけようとした企画であり、 町長や地元商工会の皆さんも登場して地元民には面白い番組になっている。
 ゼントヨーヨーズは、 3月18日に行われた2歳馬の能検 (競走能力・発走調教検査) では枠入りを5分間も嫌がる名 (迷?) 演技を披露して格好の番組ネタを提供していたが、 実際のレースでは見事に1着で入線し、 なかなかの実力と好仕上がりぶりを示した。
 ゼントヨーヨーズの能検の日は、 来場者の混乱を避けるため比較的抑え目の宣伝だったにもかかわらず、 600人を超える人が来場した。 普段の門別競馬の入場者は350人程度だから、 その人気の過熱ぶりがうかがえるだろう。
 正直なところ、 まだ能力は未知数のゼントヨーヨーズだが、 実力が伴えば人気沸騰は間違いないはずだ。 いやいや、 負け続けても負け続けても、 きっとファンは熱い声援を送ってくれるに違いない。
 ホッカイドウ競馬に限らず、 各地の地方競馬は大変厳しい経営を強いられている。 地方競馬全体の活性化のためにも、 ファンに競馬の楽しさを広く伝えられるスターホースの出現が待たれる今、 ハルウララ、 コスモバルク、 ゼントヨーヨーズたちに託された夢が大きく拡がってほしいと思う。
 ハイセイコー、 オグリキャップに続くスーパースターホースの出現こそ、 地方競馬主催者の切実な願いだろうし、 これは私の夢でもある。
(サラブレッドブリーダーズクラブ・遠藤幹)

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